遊(5) 弦を張り替える

 中学生時代、「フォークソング」にハマった。少ない小遣いをためて買った初めてのLPは井上陽水のライブ盤だった。中2のお年玉でアコスティックギター、当時はフォークギターと呼んでいたが、を買う決心をした。

 「モーリス」のギターが欲しかった。ラジオのコマーシャルで「モーリス持てばスーパースターも夢じゃない!」というのが流れていた。しかし、持ち合わせの13,000円では足りなかった。買えたのは「モラレス」。当時モーリス全盛時代に偽物ぽいブランドだった。後で知ったが、全音楽譜出版社のアコギブランドで、フォークブームでにアコギの製造・販売に参入したらしい。メーカーなど関係なく、ギターが買えたことが嬉しく、毎日触っていた。難関のFコードを克服し、スリーフィンガー奏法まで頑張った。高校、大学と愛用したが、ネックが反ってしまっったので大学生の時「ヤマハ」のギターに買い換えた。30代で憧れの「ギブソン」を買った。

 しばらくサボっていた「ヤマハFG-300D」の弦の張り替えをすることにした。弦を外すとフレットの汚れが気になったので磨くことにした。

 マスキングをしてコンパウンドで磨いてみた。それなりに汚れが取れた。ボディとネック、指板はクロスで拭いて、さあ弦を張ろうか。

 当時ハードケース付きで3万円で買った。型番の300って3万円の意味だったのかな。サウンドホールには貝が貼られている。

 当時はコンパウンド弦を張っていた。柔らかく指先に優しいこと、下宿で弾くので大きな音を出さないことが選んだ理由だった。近所のハードオフで格安だったライト弦「マーチンM-140オリジナルズ80/20ブロンズ」を今回は張った。

 チューニングしてちょっとだけ弾いてみたがすぐ左手の指が痛くなった。昔は指先が硬くなっていたのにな。これからまた弾く機会を増やしていこう。

勇(1) 毎日読んでいます

 誰もが思い悩むことがある。落ち込むことがある。そんな時に元気や勇気ややる気をくれる言葉がある。ことわざや故事成語などもそうだが、誰かが言った言葉にそんな力が込められていることがある。

 その人の生き様や人柄が感じられる言葉が好きだ。自分と似ているとホッとしたり、逆にハッと気付かされたりする。Web上で検索するとたくさん見つかるが、その人物がいつどんな時に言ったのかを知ることでさらに心に響く。

 前から気になっていた本の第2弾が刊行されたので、第1弾と合わせて購入し、毎日1話ずつ読んでいる。1日1ページとすぐ読めることと、大企業の会長とか詳しく知らない人物も登場するので興味をもって読んでいる。

 仕事の教科書の4月29日は落語家の桂歌丸さんで「褒める人間は敵と思え」だった。古今亭今輔師匠から言われた言葉だそうだ。私もそうだが、子供の自尊心を高めるために褒めて伸ばす親が多いように思う。その時代の若者の気質の違いなのだろうかか。大人や社会の価値観の違いなのだろうか。ケースバイケース、その人その人で違うといえばそれまでだが、褒めることがいいと思ってきた私には新鮮だった。

 最後の段落に「芸は人なり」という言葉が出てくる。薄情な人間には薄情な芸、嫌らしい人間には嫌らしい芸しかできないと。また、これは噺家だけでなくビジネスマンも同じ、「品物を売るんじゃなくて自分を売れ」と。芸を極めた自分に厳しい名人の考え方、生き方がたった1ページの話から感じられる。

 本を買ってから、人の生き方に思いを馳せる時間を毎日もつ習慣がついてきた。

裕(3) 青春のうた

 毎日少しづつ持ち物を減らしている。今日は学生時代から使ってきたギター用の楽譜集を廃棄することを決めた。ベッドの下にしまっていてしばく開いていない状態だったためか、紙が茶色く変色してきている。お気に入りだった井上陽水かぐや姫松任谷由実オフコースビートルズ。私はギターコードを押さえて弾くだけの技量しかないのだが、今はネットでコードを知ることができるから、このような本を開く機会がなくなった。

 実は、捨てられずに悩んでいるものがある。

 「隔週刊 青春のうた ベスト・コレクション」だ。デアゴスティーニが隔週で刊行した、6曲入りのCDと冊子がセットになったもので、定期購読していた。2006 年 1 月から約4年間、懐かしい音楽を聴きながらギターをつま弾き楽しんだ。カラオケCDも 100 号購読で手に入れた。 創刊号が税込で390 円、2 号以降は990円だから、約10万円を使ったことになる。

 CDを整理して処分しているので、全セットをブックオフに持ち込んだが値段がつかないというので持ち帰ってきた。捨てるには惜しい、でも場所をとってしまっている。ああ、優柔不断だ。

裕(2) 気分を変える

 仕事や役職に髪型を合わせてきた。自然と保守的で冒険をすることなく、十数年似たような髪型で過ごしてしまった。退職していろいろなことをリセットして、変わろうとする気持ちが自然と高まってきた。んじゃぁ、髪型を変えるのはどうだろう。

 短髪にするのは今でなくてもいい。髪の量があるうちにできる髪型、でなければもったいないように思った。とは言っても、これまで「おしゃれ」方面には関心が低かったから、どんな髪型がいいのか、流行しているのか、ましてや自分の顔に似合う髪型など想像もつかない。

 思春期の頃の流行りは「長髪」だった。

 中学校入学時は、男子は坊主頭にしなければならなかった。小学生時代はいわゆる「坊ちゃん刈り」だったから、バリカンで刈り上げて少し青い頭皮が見える頭になった。ある意味、中学生の容姿になったわけで、少し大人に近づいたことになるが、馴染むまでは変な感じだった。

 中学1年生の時の生徒会が、男子の髪型を坊主でなくても良いように校則を変える活動をしてくれた。校長が退職の年で、置き土産に校則を変えてくれたと聞いている。それからは、生徒手帳に髪型の図が載って、それに違反しなければ髪を伸ばせるようになった。近隣の中学校の中で一番早かったように思う。

 高校には頭髪の細かい規則はなかったから、肩まで髪を伸ばしていた奴もいたが、親の顔色を伺っていた子供だったので、中学とそう変わらない髪型で過ごした。大学時代に1回だけソフトパーマをかけたが、母親に似てしまってがっかりした。夏は短く、冬は伸ばすことだけが基準になっていた。寝癖直しだけして、ほとんどワックスもつけない。朝の髪の毛の様子で、どう分けるかが決まるような感じだ。

 髪の毛が細く、ちょっとクセもある。白髪は40歳過ぎにどんと増えたが、まだ真っ白でないし、量もだいぶあるのは恵まれている。さて、どうしようか。そこは行きつけの理髪店の店長さんのアドバイスが唯一の頼りだ。

 自分の顔に似合う髪型なんてわからないから、提案してもらった。

 ツーブロック
 刈り上げの長さは控えめ。この後さらに髪が伸びてどう雰囲気が変わるのか楽しみではある。気分を変えると言いながら、冒険ができないのも自分らしさだろう。

遊(4) 進化してるなぁ HGガンダム

 約4時間、のんびりとプラモデルづくりをして、素組が完成。

 シールは使わず、マーカーで部分塗装した。墨入れとかすると細かなディテールが浮き上がってさらに良くなるだろうが、後にしよう。

 これまで作ったハイグレードのRX-78-2を並べてみよう。

 左か右へと新しいキットになる。アニメの雰囲気は、古いキットが一番かな。新しくなるにつれて、作りやすくいように感じる。

 真ん中はガンダムベース限定の「メタリックグロスインジエクション」。パーツがメタリックグロスで塗装されているので組めば完成、頭部だけちょっと墨入れをした。

 新しいものほど関節の可動域が広く驚いた。

 肩と股関節の違いを比べただけでも面白かった。ポージングで遊ぶには、自由度が上がるほど嬉しい。もっとも、飾るスペースがあればである。我が家では、100均のコンテナに入ってしまう確率が非常に高い。

 墨入れする気になるよう、3体目だけはコンテナに入れないことにした。

遊(3) ガンプラとの出会い

 50歳を過ぎてからまたプラモデル製作にハマるとは思っていなかった。

 YouTubeでしばしばプラモデル制作の動画を見ていた。好きな軍艦だけでなく、戦車にフィギュア、そしてガンプラだ。

 3、4年前、健康のために始めたはずのウォーキングをやり過ぎて踵を痛めた時、歩いていた時間にプラモデルを作ってみる気になった。久しぶりなので、簡単にできそうなものにしよう、それから小学生の頃よりは上手に仕上げようと思った。その時目に止まったのが、ガンダムとザクがセットになったキットで、制作の基礎知識が紹介されているものだ。

 

 正直、ガンプラにはそれほど興味がなかったがちょうどいいだろう。スケールモデルを仕上げるのは大変だ。とりあえず安いニッパーも買って、モビルスーツを2体サクッと組み立てることにした。

 いざ作ってみると、合わせ目が気になる。接着して平らにしようとセメダインと紙やすりを買って仕上げる。モールドがはっきりするといいなぁ。ガンダムマーカーを買って墨入れなることをやってみる。仕上げに艶消しのスプレーをかける。気がつけば、まんまとガンプラの魅力に捕まってしまった。次々にキットを買っては作り、仕上げ方も凝り出して、工作の道具も塗料も増えていった。

 ガンプラの数が増えたので、100均で見つけたPET製のコンテナに2体ずつ入れて保管している。HGのガンプラを保管するにはちょうどいい大きさで気に入っている。

 テレビアニメに登場するロボットは、おもちゃも魅力的だった。まずは、「鉄人28号」。ブリキ製のおもちゃで、左右の足に単一乾電池を入れ、目を光らせ歩くやつを持っていた。電池が液漏れして動かなくなり捨ててしまったが、今持っていたなら相当価値があっただろう。次は「マジンガーZ」。超合金のおもちゃは有名だが、すでに軍艦のプラモ作りをしていたので、この高価なおもちゃは買うことはなかった。

 宇宙を舞台にしたアニメといえば「宇宙戦艦ヤマト」が中学生、「ガンダム」は高校生のころに放送されていたと思う。私はプラモを一旦卒業して、関心は音楽、ギターに向いていた。

 話を戻そう。こうして50代のおじさんのガンプラ収集・制作が始まり、やがてスケールモデルに塗装をすることもやりはじめ、ジオラマっぽいものを作り、そしてフュギュア製作にも手を出すことになる。

 さあて今日は、退職記念にいただいたガンダムのキット、 HG 1/144 RX-78-2 ガンダム [BEYOND GLOBAL] を作ることにしよう。

 きっと素組だけで満足してしまうだろう。

 

 

悠(1) 今、ここにいるということ

令和という時代に日本という国に居るということ

 自分は恵まれているな、ラッキーだなと思っている。なぜなら、高度成長期の日本に生まれたからだ。もちろん、幸福の感じ方は人それぞれだから、同世代であってもそう思わない人もいるだろうが、戦争や飢餓で苦しむ時代に、または国に生まれなかったことは幸せなのではないだろうか。 

明治維新〜敗戦

 19世紀、日本という国は欧米列強の植民地とならなかった。なぜか?

 自分は「文明の生態史観」(梅棹 忠夫 著)に答えを見つけたような気がした。この本を読むと西欧と日本が似ていることが理解できる。ネット上でも概略がわかる。

 YouTubeにもわかりやすい動画がある。例えばこれ。


www.youtube.com

 日本という災害が多い国、さほど資源に恵まれてはいない国が、「一等国」として世界に認められるまでの国となったのは、先人達の努力と犠牲があったからだと思う。私には、10代で志願して海軍に入隊し、成人前に戦死した伯父がいた。海軍上等兵と刻まれてた石の墓標に当時の家族の思いが詰められているように思う。

 第2次世界大戦を知る人は高齢になっている。戦前・戦中の体験を直接聞く機会も無くなってくる。戦争の悲惨さだけでなく、なぜ戦争をしなければならなかったのかを確認することが大切だ。学校で昭和についてどのように学んできたのだろうか。今こそ学びなおすことが必要なのではないか。

戦後復興〜現在

 戦後、平和主義の憲法下で軍事費は抑えられてきた。アメリカの核の傘の下で経済発展を遂げた日本。しかし、1980年代にJapan as No.1と称賛された日本経済は、1990年代以降にはバブル崩壊により低迷する。他の先進国のようには所得は伸びず、中流階級だと感じていた国民意識も変化した。就職できても所得は少なく増えない現状は、戦後に創られ機能してきた経済モデル・システムが老朽化してしまったことを意味しているのだろう。国際社会での日本の武器であった経済力は相対的に低下している。

 明治元年(1868)から令和4年(2022)までのちょうど真ん中あたりが第2次世界対戦にあたる。戦争を何回も繰り返してきた戦前と、平和に暮らせていることが当たり前になった戦後が、ほぼ同じ時間の長さだと思うと驚きがある。

 私はこの平和な時代に成人となり、就職し、定年退職となるまで勤めきった。社会を創り動かす人間ではないが、支えるくらいの役目は果たしていたと思う。

 今、ウクライナで起きていることが日本でも起きるかもしれない。もっと生活が苦しくなるかもしれない。ネガティブな感情を引き起こす情報に触れると、私はどれだけ幸せな時代を過ごしてきたのかと思うのだ。

今という瞬間の堆積が過去

 時間は連続し繋がっている。今という一瞬はすぐ過去に変わり、この一瞬一瞬の堆積、まとまりが過去の記憶になっていく。

 古い記憶ほど、楽しい良いことが多いのは私だけだろうか。辛かったことでも、今の自分にプラスになっていると考えられることも多い。そう思えるのは、その日、その時、その瞬間に悔いがないよう生きていたということだろう。自分で決めたこと、選んだこと、行動したことに納得できれば、その時の状況が悪くても、懐かしい思い出として振り返ることができる。

未来は今から始まるという考え方

 未来に漠然とした不安を感じるのは、予測ができないからだ。新型コロナウイルス感染症がいまだに治らないことがその1例だ。ウイルスが変異したり、対策を実行しても限定的な効果しかなかったりと、見通しが立たない。

 逆に、望む未来を作るには自ら行動することが大切になる。スポーツで素晴らしい成績を納める人たちは、必ずそれに向けての並々ならぬ努力をしている。特に、個人の将来の姿、夢を実現するには、自ら決断し積極的に行動することが大切だ。

 どう行動するのか何も選ばない、決めないで今を過ごしてしまうと、悔いが残る過去を作るだけでなく、自分が望むの未来に近づくことはできない。夢が大きいほどぐずぐずしてはいられない。時間は止まってくれない。未来はすぐにやってくる。

 1秒先は未来だ。遠い未来だと思っていても、今の連続の先に必ずありすぐにやってくる。そして、未来の先に終わりの時、死が必ずある。生きる時間は限られているのだから、今すぐに行動しよう。「未来とは1秒後」とアイドルも歌っている。

悠々と

 自分の未来について、これからできることは、質的にも量的にも限りがある。人間の可能性は年齢に反比例すると思うが、ゼロにはならない。ならば悠々とマイペースでいい、一歩ずつ進んでいこうと思う。無理して急ぐと息がきれて、行けるところまでたどり着けないように思うので。

 社会の未来は、若い人達に決める権利があると思う。ならば、サポーターという立場で未来を見ていこう。年の功があるかもしれない。老害にならないよう心しよう。