憂(1) 知覧特攻平和会館へ行ってみたいな

 生き方の教科書の5月28日には、知覧特攻平和会館顧問の坂津忠正さんのお話が載っている。読みながら、自然と涙した。

 特攻隊員の家族に書き残した遺書が紹介されている。1通は6歳から育ててくれた継母への懺悔と感謝が込められ、もう1通は5歳と2歳の子供への父の思いがカタカナで綴られている。

 辞世の句も2首、紹介されている。

「国のため 捨てる命は 惜しからで ただ思わるる 国の行く末」

「風に散る 花の我が身は いとわねど 心にかかる 日の本の末」

若くして戦死した多くの人たちに、今の日本はどのように映っているのだろうか。

 私の伯父は10代で志願して海軍に入り、駆逐艦「橘」に乗船した。昭和20年7月、函館湾でで空襲に遭い艦は轟沈、戦死した。実家には水兵服の遺影が掲げられ、祖母から当時の話を聞いた覚えがある。

1年以上も製作が止まっている駆逐艦「橘」、「紫電改」は箱を積んだまま

 そのせいだろうか、小学生の頃から、戦争についての関心は高かったように思う。

 太平洋戦争のドキュメンタリーアニメ(アニメンタリー)「決断」を毎週欠かさず観た。三船敏郎主演の東宝映画「連合艦隊司令長官山本五十六」はTVで何回も観た。書籍の名前も著者も忘れたが、「紫電改」という戦闘機のパイロットの記録が書かれたハードカバーの本を買って読んだ。子供の頃に作ったプラモデルのほとんどが軍艦だったのは、伯父への思いがあったからなのだろうか。

 その頃、ベトナム戦争についてのニュースがよく流れていたが、自分にはピンとこなかった。逆に、横井さんや小野田さんが見つかって日本に帰ってきた時は、やっと戦争が終わった人がいるんだと心に響いた。沖縄が返還された時は単純に嬉しかったし、北方領土もいつしか返還されるのかなと楽観視していた。憲法の平和主義を学習して、他の国も「戦争をやらないぞ」と決めればいいのになと子供心に思っていた。

 大人になって、日本は戦争をしなかったから経済発展できたことや国連は「連合国」が優遇される組織だと知った。ソ連が崩壊し、中国の経済発展で世界情勢は大きく変わり、今ウクライナでは戦争が始まった。

 東京オリンピックを見ていた時に、ヨーロッパでこんな戦争が起きることを予感していた日本人はいたのだろうか。

 今、戦争について誰もがしっかり考えなければいけないと思う。特に戦後生まれの年長者は、日本で平和な時代を生きることができたという事実を再認識して、次の世代も平和な国で生活できるように何をすればよいのかを考える義務があると思う。

 いろいろな視点からいろいろな議論ができる国・時代を生きている。毛嫌いをせず、靖国神社にも原爆ドームにも行って、当時の様子やそこで生きた人の思いを遺品から感じることが大切なように思う。平和な国・世界にしようとする思いが平和な国・世界を築くエネルギーになるはずだ。

 知覧特攻平和会館へ行ってみたいな。